父が2歳の時に他界したので、どんな人か
よくわからなかったのですが伯母や従兄が
いろいろと調べてくれました。
出身は熊本県。
実は祖父との前に、医師の男性との
結婚歴があり、医学を勉強するために
アメリカに留学していたのだそうです。
その男性が亡くなったため、帰国して
満州の日赤病院で祖父と出会った、
ということです。
と・・
サラッと書きましたが、
大正時代の話ですから、きくさんという
女性はわが祖母ながら、当時かなりの
「ハイカラさん

ね~

従兄は、祖母が亡くなった地である
インドネシアも訪れ外国人墓地に
お墓が実在するのも確認してきて
くれました。
その写真がこちら


墓地には、日本人慰霊碑もあったそうです。

30年ほど前の写真ですが、きっと今も
残っているのではないでしょうか
いつか訪れてみたいものです

ちょうど、テレビで「天皇の料理番」を
やっていましたが、
時代的にはちょうど同じ頃の話です。
そういう時代だったせいなのか、
あの主人公も祖父母も今の私達と比べて
とてもバイタリティーあふれる人達
だった気がします。
間もなくお盆を迎えますが、
ご先祖様方には、ぜひ立ち寄って
彼らのバイタリティーを分けて
もらいたいものです
