園子先生のひとり言

2015.07.23更新

両親が亡くなり・・
自分の先祖のこと、自分のルーツの
ようなもの、について考える時間が
増えました。

HPの自己紹介で、祖父も歯科医師
だったと書きました。

祖父、山本三衛(かずもり)は三重の
農家の三男でしたが、上京して歯科医師に
なり、軍医として満州の日赤病院に赴任
しました。

その時の貴重な写真が残っています。


前列中央が、祖父。
そして、後ろの看護婦達の中で
婦長をしていたのが(どの方かはっきり
しないのですが・・)
後に祖母となる池松きくさん、
なんだそうです。

多分、大正10年頃の写真だと思われます。

戦争でも焼けてしまわず、よく残って
いたものだと思いますconfident

結婚した二人は、その後ジャワ島に
移り、そこで父の姉と父、二人の子を
もうけますが、きくさんは父が2歳の時
ジャワ島で亡くなります。

その葬儀の時のこれまた貴重な写真が
こちらeye


中央左で子供(父)を抱っこしているのが
祖父。昭和2年頃の写真です。

その後祖父たちは帰国しますが、
本業の歯科の仕事にはあまり熱心では
なかったようで、政治の世界に足を踏み
入れたりもしていたようです。

結局
歯科医院もやめて養鶏業(うずら)者
になってしまいました。
そんな祖父と、父は折り合いが悪かった
らしく家を出て野田で開業・・と
なるわけです。

私の記憶に残る祖父は、体調がすぐれず
寝たり起きたりしてる
「うずら屋のおじいちゃんchick
でしかありませんでしたが、
こうして残った写真を見ていると
彼もまた、明治、大正、昭和と
いわゆる「激動の時代」を生きた
1人だったのだろうと思われます。

さぞや数々の武勇伝をお持ちだった
ことでしょう・・confident


投稿者: 山本歯科診療所

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